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「死にたい」は感情の自己破産です

日記

かつて通っていた職場に向かうというのは、いつまで経っても息が詰まるものです。昨晩うちに来た友人を途中まで送り、わたしは1年前まで通勤で使っていた電車に乗りました。

電車に乗っている時間は20分もかかりません。だけど、通勤に使っていた電車に、通勤していた時と同じ時間に乗ると、動悸がして、耳の奥が詰まったような感じになって、自分がそこにいるようないないような奇妙なフワフワ感がします。そんな時わたしと現実をつないでくれるのはインターネットだけです。Twitterのタイムラインを目で追いながら、不安発作の前兆から頑張って気を逸らします。

約束の時間まで、半端に空き時間ができました。とりあえず開いていたスーパーに入ったけれど、何も買いたいものはなく、ふらふらしていました。眠気はなく、交感神経が副交換神経を迫害しているような感じがします。

淡々とした説明が始まります。モニターを見つめるのですが、なかなか内容が入ってきません。視覚と聴覚どちらかしか効かないので、適宜スイッチを切り替えます。

今月まではこう。

来月まではこう。

こういうことを期待している。

書類を書いてもらうからよろしく。

早速依頼したい案件があって。

これこれこういう話でさ。

よろしく頼むよ。

一言一言が「お前は結果を出すけれど、存在は迷惑なんだ。ジレンマで闘っているんだ。本当はお前なんかに任せたくないけど仕方なく依頼しているんだ。クビにしたらこちらが悪者扱いされてしまうから迷惑だけど雇っているんだ」と変換されて聞こえます。本当、こういう時にうつ病の底力を感じます。ネガティブ自動変換だけは異常な程研ぎ澄まされているのです。

30分ちょっとの打ち合わせが終わる頃には、口の中がカラカラに渇いていました。1人になった瞬間に、何もかもが申し訳なさすぎて、涙がぽろぽろ出てきました。泣いている姿を周りを歩いている人に見せたら怪しいから申し訳ない、気をそらそう、と、ドラッグストアに入って必要だった買い物をし、駅の売店で自分のご機嫌とりのためにグミを買いました。大好きな桃味。味覚に意識を集中させて、悲しい気持ちを抑え込もうとしました。お腹に食べ物を入れて、消化に副交換神経を使おうという戦略でもありました。でも、電車に乗って、座席に座った瞬間、もうわたしはダメでした。ぽろぽろだった涙はぼろぼろ流れてくるようになって、顔はぐしゃぐしゃになり、常に拭い続けないといけなくなりました。考えていたロジックは、崩壊しました。鬱に負けました。

「自分へのご機嫌とりでグミが有効だと思って買ったのにうまく使えなかった自分はダメなやつだ、味覚で涙がごまかせると思った浅はかな考えの自分はゴミだ、自律神経が壊れているからといって、電車の中で泣いてしまって、周りの人に迷惑をかけるなんて、自分は最低だ、最低だ、最低の人間だ」と思ってまた涙が出てきてしまいます。

死にたい、という言葉がここでやっと出てきます。ぐるぐると回って処理できなくなってしまった感情が、ぜんぶ「死にたい」に詰め込まれて出力されます。「死にたい」は感情の自己破産なのです。

よく「死にたい」は「生きたい」だ、などと言いますが、わたしの場合は「死にたい」でしかありません。強いて言うなら「迷惑をかけたくない」です。これ以上周りの人に迷惑をかけないために死ぬことだけを考えていました。

死んだら迷惑はかかります。でも、生きていて予測不可能な迷惑をこれからかけることはありません。でも母は親より先に死ぬのが一番嫌だと言っていました。母に迷惑をかける訳にはいきません。でも生きていても迷惑なのです。どうしたら良いのか全然分からなくて、ひたすら泣くことしかできませんでした。

人に迷惑をかけるのはいけないことです。全員がそうなわけではないですよ。迷惑をかける価値がある人はかけてもいいですが、迷惑をかけるだけの価値のないわたしは人に迷惑をかけてはいけません。自分勝手に生きて自分が気持ちよくても、人に迷惑をかけてしまうならそれはやめるべきです。なぜならわたしには価値がないからです。

わたしには価値がないので、自分のために生きる意味はありません。わたしには価値がないので、自分で自分を好きになれたとしても、それは何の意味もありません。わたしは、人に好かれるよりも、人に迷惑をかけていないことに価値を感じます。人に与える迷惑が少なくなればなるほど、わたしの価値はマイナスからゼロに近付きます。

そのためには、結果的に完璧でなくてはならないのです。わたしは迷惑の債務超過状態にあります。それを清算して清算して、やっとゼロになれます。

楽をしている部分もあります。自分が無価値だと思うと、全ての事象に理由がつきます。理由があって結果がないと、わたしはひどく不安になります。わたしが無価値だとすると、それがすべての理由になります。

あの人に嫌われたのはわたしが無価値だから。

あの人に叱られたのはわたしが無価値だから。

無視されるのはわたしが無価値だから。

こんな楽をしている自分にも気付いています。本当は、自分に価値を感じてくれている人がいることも分かっています。会社の人が、わたしが想像しているほどわたしのことを迷惑だと思っていないことも分かっています。なのに、自分は無価値だからと安易な理由付けをして安心しようとする自分が、惨めで、憎たらしくて、たまりません。こんな自分を生かしておくのが恥ずかしくて、また死にたくなります。

わたしの悪い癖なのですが、リストカットをすると精神安定剤を飲むより楽になります。なんとか自宅にたどり着いたあと、ベッドに寝転がってひたすら腕を切りました。迷惑をかけた自分を処刑し、白い腕を傷つけて汚し、安心しようとしているのです。そんな自分も全部嫌です。しかし、もう自殺をする元気も残っておらず、そもそも生きるのと死ぬののどちらが人に迷惑をかけないかが分からない状態だったので、落ち着いてから死ぬことを考えようと思い、落ち着け、落ち着け、落ち着け、と腕を切り続けました。落ち着きませんでした。もうどうしたら良いか分かりませんでした。電車の中で泣かないように、ロジックを組んで対策してもダメでした。衝動ではなくきちんと考えて迷惑をかけないためには生きるか死ぬかどちらが適しているか考えるために落ち着きたくて腕を切っても落ち着きませんでした。悲しくて、悲しくて、ただただ泣きました。

現実から自分が離れた場所にいることに気付き、現実とつながるためにTwitterを開きました。イタすぎる中年注意報、というリストに追加されていました。詳細は見ませんでしたが、リストを作ったのはフォローしている人でもフォローされている人でもありませんでした。ひとまず第三者からの評価を知れて安心したわたしは、ああ、死のう。現実でこう評価されたからには死ぬしかない。そのほうが総合的に見れば、人に迷惑をかける量がきっと少ないんだ、とひとまず結論付けて、ゆっくり死ぬ準備をするために一度眠りました。

このまま生きて沢山の人に迷惑をかけるよりも、母はすごく苦しませてしまいますが、他人には現時点で抱えている分だけしか迷惑をかけないようにするほうが、結果的には人の迷惑にならないと確信したのです。

 

目が覚めて、薬とリストカットのおかげで落ち着いたわたしは、ひとまず死ぬのを順延することにしました。

今日言われた言葉を反芻し、認知があまりに歪みすぎていたところを少しずつ矯正し、迷惑がかからないよう本意を受け止めようとしました。わたしは生きる価値もないけれど、事故物件+自死遺族+業務委託していたライター(元社員)に死なれた企業を作って死ねるほどの価値もわたしにはないと思いました。

せめて、今抱えているタスクを消化して、それからにしようと思いました。その方が、迷惑をかけないで済みそうだからです。

 

付いて離れない無価値感を抱えながら、人に迷惑をかけたくない一心で、これからもわたしは生きていくのだと思います。

その一方で、ここまで極端な考え方になってしまっているのは、うつ病のせいだとも分かっています。

近頃少し楽しく生きることができていたので、反動の分もあるかもしれません。

分かっているようで、何も分かっていません。

 

本気で自殺をしてしまいそうになった日の自分がどういうことを考えていたかを記録に残しておきたかったので、サブブログにだけ。

失礼しました。

 

Cyndi.